【知りたい】宇多田ヒカルに「世に送り出す手助けをしなきゃいけない」と言わしめた、小袋成彬を必ず聴くべき理由

これだけ濃密な楽曲を作っているからには、聴き手に届けるのにもかなり高度なスキルが必要となってくるわけだが――小袋成彬というアーティストの歌声とパフォーマンスは、その高尚な詞とサウンドに匹敵するくらいに、いやそれ以上に、受け手に大きな衝撃を与えるものである。

弦楽器のようなビブラートを湛えた美しいファルセットとチェストボイスを駆使し、つぶやきと絶唱の間を縦横無尽に行き来しながら切々と歌い上げるのが彼の歌唱の特徴だが、この歌から醸し出される浮遊感や哀愁はまさに比類がない。彼の手腕や才能だけではなく、これまでの経験や胸に密かに抱えている祈りなど、当人の人生のすべてが歌に詰まっているような気さえする。“Lonely One feat.宇多田ヒカル”や“ともだち with 小袋成彬”で宇多田ヒカルのボーカルと対等に渡り合えたのも、きっと彼が歩んできた26年間の物語が歌声から滲み出ていたからだろう。いちリスナーとしても、アルバム『分離派の夏』を聴いていて、何気ないフレーズなのに息が詰まるほど感極まるシーンが何度もあった。歌だけで聴き手を泣かせられるくらい、彼のボーカルは本当に奥ゆかしいものなのだと思う。

そして、ライブがこれまた畏怖を感じてしまうほど素晴らしかった。デビューコンベンションで見た時、小袋はヘッドホンをつけ、マイク一本を持ちステージに立っていたのだが――まるでサウンドに弄ばれるマリオネットのごとく舞台上をゆらりと歩き回り、絶えず身振り手振りを加えて歌唱する姿が鮮烈だった。音楽を歌い鳴らすというよりも、音楽に憑りつかれているというか、彼自身が半分音楽になってしまっているというか。一般的にライブというのは、アーティストが音楽を主体的に操りオーディエンスの感情を揺るがす場だと思うが、小袋のライブはむしろ、彼自身が誰よりも深くサウンドに憑りつかれ、そのシャーマンのような立ち振る舞いを観客が固唾を呑みながらひたすらに見つめる、という空間だった。そしてそのライブにこそ、筆者の心はもっとも震え上がった。こんなに音楽的な人、正直今まで見たことがない――そう思ってしまうほど、深く、深く、驚嘆させられたのだ。まるで別世界に呑み込まれてしまったかと錯覚させるくらい、たまらなく至高なパフォーマンスを、小袋は草創期から見せつけてくれた。

宇多田ヒカルに「この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない」という使命感を抱かせるほどの才能とスキルを開花させた小袋成彬。宇多田がそう語る背景には、誰にも真似できない美しい歌声と、誰にも歩めない物語と、誰にも奪えない流儀があったのだろう。この切なくて偉大なる音楽に、多くのリスナーが触れることを心から願う。(笠原瑛里)
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