ボブ・ディラン、8年ぶりのオリジナル・アルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』をリリース! 現在のとてつもない創造力を純粋かつ全方位的に見せつけた新作を最速徹底レビュー!


3月末に突如新曲“最も卑劣な殺人”をリリースし、それからもシングル・リリースを続けていたボブ・ディランの新作『ラフ&ロウディ・ウェイズ』の全貌が明らかになった。

“最も卑劣な殺人”のような16分にも及ぶ大作はほかにはないが、曲調はどの曲もあるテーマを伴奏に持たせて、それをどこまでも抑え目に、しかし確かな存在感を醸し出しながら奏でつつ、ボブがたゆたうように物語を綴るという構成の曲が軸となっている。

いってみれば、4月にリリースされた“アイ・コンテイン・マルチチュード”のような曲が多くなっていて、そのほかには“偽預言者”のような、ボブが得意とするエッジの立ったブルース・ナンバーで構成されている。



いずれにしても、ブルース系以外の楽曲については、これまで続いたスタンダード・カバーの試みが極意となってその演奏に映し出されているとしか思えないほどに、得もいえぬ魅力をその音にたたえているところに聴き入ってしまう。

こうした悠久な調べを感じさせる演奏に乗せて、ボブが不思議な物語の数々を綴っていくところがたまらないのだ。

たとえば、『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』から『トリプリケート』までのスタンダード・カバーについてはもはや失われてしまった音をあえて今伝えたいという意図が明確にあったし、それ以前のアルバムでも楽曲によっては、同様な意図を演奏に込めていたところもあったはずだ。

しかし、今回のアルバムではそうしたモチベーションからは自由になって、純粋に自身の創作だけに没頭し、イメージ通りに音とバンドも指揮したという印象がどの曲についても鮮烈にあって、徹頭徹尾ボブの世界となっているところが素晴らしい。

歌詞はどこまでもイメージ豊かで、なおかつつかみどころもなく、そこがとても刺激的だ。

たとえば、“マイ・オウン・ヴァージョン・オブ・ユー”などはブルース的なマイナー・コードの進行パターンをごくごくやわらかい演奏で下支えしながら、《きみの姿を再現させてみせる》という語り手の突拍子もない試みがえんえんと綴られることになる。

いってみれば、人造人間を作るという話なのだが、その素材に映画『スカーフェイス』のアル・パチーノの顔を使いたいとか、レオン・ラッセルのようにピアノを弾かせたいなどと洒落の利いた描写がいくつも紹介される。

しかし、展開が進んでいくと、《自分なりのきみの姿を作ってみせる》という《きみ》とは一体誰なのか、とても気になってくる。
そして、風雲急を告げるような内容が錯綜する最終節になると、ここでイメージされている人物は実はキリストなのではないかと思われてくる展開がとても刺激的だし、この歌詞のイマジネーションにおけるボブの真摯さもよく伝わってくるのだ。

その一方で、このアルバムにおける音と歌詞の試みの極致ともいえるのが“キーウェスト”で、どこまでも柔らかい演奏とともに、終着点のない旅を続ける語り手の心情が綴られていくのだが、そんな語り手の憧れの終着地として語られるのがフロリダ最南の島、キーウェストで、この音と語りが伝える夢心地感がまたすごいのだ。

あるいは“グッバイ・ジミー・リード”などはタイトルから予想される通りの快活なブルース・ナンバーとなっているが、カエサルがローマを制圧するために逡巡した後にルビコン川を渡ったという故事に語り手の決意をたとえてみせる“クロッシング・ザ・ルビコン”で聴かせるブルースについては迫力がとてつもなく、さまざまなブルースの表情を描いてみせているところも強烈だ。

当初は“最も卑劣な殺人”のように、自分の生きてきた時代をいろんな形で聴かせる内容のアルバムになるのかと予想していたが、むしろ純粋なボブの現在の創作をいろんな形でまとめた内容となって、あらためて嬉しくなる作品だ。


“最も卑劣な殺人”のような重厚なテーマもあれば、“マイ・オウン・ヴァージョン・オブ・ユー”のようなユーモアと思いがけない心情吐露の展開もあり、さらに“キーウェスト”のような抒情も聴かせるという意味で、ボブの魅力を全方位的に垣間見させてくれる、この懐の深い内容にただただ畏れ入る思いだ。(高見 展)
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