KISSを観る

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これまで何度観たか分からないキッスだが、一度たりとも期待を裏切られたことはない。まあ、毎回同じだからとも言えるのだが、その同じであることに対する誠実さが、彼らの場合はもはや宗教的なレベルと言える。
何年か前に、やはり同じ東京ドームで観たとき、隣がマリリン・マンソンだったことがあった。
ステージとのコール・アンド・レスポンスの全てに全身で反応し、ほとんど泣きそうになっている姿は、とても感動的だった。きっと彼にとってキッスは少年時代、抑圧から解放してくれる、切実な装置だったのだろう。
そして全世界にそうした少年や少女は無数に存在している。キッスはそうした少年少女の解放の戦士なのだ。その多くは大人になったが、今でもキッスはあの時と同じように、自分たちが必要とすればやって来てくれる解放の戦士でなければならない。
キッスが同じであるのは解放の戦士としての使命なのだ。ある日、彼らはそれに気付いたのだ。
もう憶えている人は余りいないと思うが、彼らがメイクを止めたときがある。きっと解放の戦士であることに疲れたのだと思う。普通の人に戻りたがったのだ。それが間違いであることは誰の目からも明らかだった。彼らは、すぐに解放の戦士に戻った。
キッスのライブが変わらないというのは、普通の変わらないというレベルではない。
演奏される曲が変わらないというレベルではないのだ。
メイクは変わらない、衣装も変わらない、ステージから上がる炎も変わらない、ジーン・シモンズはいつも火を吹き、口から血をたらし宙を飛ぶ。どれも何十年も前から変わっていない。きっとこれからも永遠に変わらないだろう。物凄いことだ。
もはや彼らに、従来的な表現者としての自我はなく、あるのは解放の戦士としての使命だけだ。ある意味、究極のロックと言えるだろう。
私性は限りなく無化され、あるのは聴き手の解放感のために戦う使命感だけだ。
その徹底した姿勢がもたらす清々しさ、それが今日のステージにも溢れていた。
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